大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成8年(ク)8号 決定 1996年1月30日

抗告人

オウム真理教

右代表役員代務者

村岡達子

右代理人弁護士

加藤豊三

鈴木秀男

相手方

検事総長

土肥孝治

東京都知事

青島幸男

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告代理人加藤豊三、同鈴木秀男の抗告理由三及び四について

所論は要するに、抗告人を解散する旨の第一審決定(以下「本件解散命令」という。)及びこれに対する即時抗告を棄却した原決定は、抗告人の信者の信仰生活の基盤を喪失させるものであり、実質的に信者の信教の自由を侵害するから、憲法二〇条に違反するというのである。以下、所論にかんがみ検討を加える。

本件解散命令は、宗教法人法(以下「法」という。)の定めるところにより法人格を付与された宗教団体である抗告人について、法八一条一項一号及び二号前段に規定する事由があるとしてされたものである。

法は、宗教団体が礼拝の施設その他の財産を所有してこれを維持運用するなどのために、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とし(法一条一項)、宗教団体に法人格を付与し得ることとしている(法四条)。すなわち、法による宗教団体の規制は、専ら宗教団体の世俗的側面だけを対象とし、その精神的・宗教的側面を対象外としているのであって、信者が宗教上の行為を行うことなどの信教の自由に介入しようとするものではない(法一条二項参照)。法八一条に規定する宗教法人の解散命令の制度も、法令に違反して著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為(同条一項一号)や宗教団体の目的を著しく逸脱した行為(同項二号前段)があった場合、あるいは、宗教法人ないし宗教団体としての実体を欠くに至ったような場合(同項二号後段、三号から五号まで)には、宗教団体に法律上の能力を与えたままにしておくことが不適切あるいは不必要となるところから、司法手続によって宗教法人を強制的に解散し、その法人格を失わしめることが可能となるようにしたものであり、会社の解散命令(商法五八条)と同趣旨のものであると解される。

したがって、解散命令によって宗教法人が解散しても、信者は、法人格を有しない宗教団体を存続させ、あるいは、これを新たに結成することが妨げられるわけではなく、また、宗教上の行為を行い、その用に供する施設や物品を新たに調えることが妨げられるわけでもない。すなわち、解散命令は、信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わないのである。もっとも、宗教法人の解散命令が確定したときはその清算手続が行われ(法四九条二項、五一条)、その結果、宗教法人に帰属する財産で礼拝施設その他の宗教上の行為の用に供していたものも処分されることになるから(法五〇条参照)、これらの財産を用いて信者らが行っていた宗教上の行為を継続するのに何らかの支障を生ずることがあり得る。このように、宗教法人に関する法的規制が、信者の宗教上の行為を法的に制約する効果を伴わないとしても、これに何らかの支障を生じさせることがあるとするならば、憲法の保障する精神的自由の一つとしての信教の自由の重要性に思いを致し、憲法がそのような規制を許容するものであるかどうかを慎重に吟味しなければならない。

このような観点から本件解散命令について見ると、法八一条に規定する宗教法人の解散命令の制度は、前記のように、専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし、かつ、専ら世俗的目的によるものであって、宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではなく、その制度の目的も合理的であるということができる。そして、原審が確定したところによれば、抗告人の代表役員であった松本智津夫及びその指示を受けた抗告人の多数の幹部は、大量殺人を目的として毒ガスであるサリンを大量に生成することを計画した上、多数の信者を動員し、抗告人の物的施設を利用し、抗告人の資金を投入して、計画的、組織的にサリンを生成したというのであるから、抗告人が、法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められ、宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたことが明らかである。抗告人の右のような行為に対処するには、抗告人を解散し、その法人格を失わせることが必要かつ適切であり、他方、解散命令によって宗教団体であるオウム真理教やその信者らが行う宗教上の行為に何らかの支障を生ずることが避けられないとしても、その支障は、解散命令に伴う間接的で事実上のものであるにとどまる。したがって、本件解散命令は、宗教団体であるオウム真理教やその信者らの精神的・宗教的側面に及ぼす影響を考慮しても、抗告人の行為に対処するのに必要でやむを得ない法的規制であるということができる。また、本件解散命令は、法八一条の規定に基づき、裁判所の司法審査によって発せられたものであるから、その手続の適正も担保されている。

宗教上の行為の自由は、もとより最大限に尊重すべきものであるが、絶対無制限のものではなく、以上の諸点にかんがみれば、本件解散命令及びこれに対する即時抗告を棄却した原決定は、憲法二〇条一項に違背するものではないというべきであり、このように解すべきことは、当裁判所の判例(最高裁昭和三六年(あ)第四八五号同三八年五月一五日大法廷判決・刑集一七巻四号三〇二頁)の趣旨に徴して明らかである。論旨は採用することができない。

その余の抗告理由について

論旨は、違憲をいう点を含め、原決定の単なる法令違背を主張するか、又は原審の裁量に属する審理上の措置の不当をいうものにすぎず、民訴法四一九条ノ二所定の抗告理由に当たらない。

よって、本件抗告を棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子 裁判官遠藤光男 裁判官藤井正雄)

抗告代理人加藤豊三、同鈴木秀男の抗告理由

一 原決定は所謂、政治裁判であり、予定の日程の下に、審理を打ち切ったものであり、司法裁判所としての任務(憲法第三二条の裁判を受ける権利を侵害している)を放擲したものである。

即ち、記録から明白なように、特別被抗告人から、本件殺人予備罪の各被告人の公判調書の取り寄せに関する報告書(甲第三一号証)が提出された日時が一二月一五日であり(特別抗告人が副本受領の連絡を受けた日時でもある)右決定が出されたのは、一九日である。

この経緯は、原決定が右公判調書の記載内容を検討する時間がないことを意味している。

因みに、原決定には、かかる公判調書の記載内容の引用もない事実からも明白である。

右報告書は、特別被抗告人が、その主張を立証するために必要不可欠と考えて提出したことは明白であり、その証拠の採用なくして、原審決定を維持する心証形成ができない重要証拠である。

従って、今後も本件殺人予備罪の刑事公判の記録が「報告書」の形式で提出されることが予想されている。

仮に、特別被抗告人が提出しなければ、特別抗告人において、自ら、進んで提出する性格の証拠である。

かかる刑事公判記録の検討なくして、本件殺人予備罪の行為の事実認定を行うことは、それ自体、事実誤認を孕んでいる。

最も、重要な代表役員であった松本の「指示」の事実についての刑事公判記録は、必要不可欠な証拠である。

当然に、右松本は、「指示」の事実を否認し、無罪を主張して、反証を挙げて、判決を求める筈である。

その場合には、「無罪判決」が言い渡される余地もある事案である。かかる経緯は、松本本人の陳述書に述べられている。

従って、報告書のみで、軽々しく、事実認定を行うことはできない性質の事案であるから、刑事公判の判決を踏まえてから、判断すべき事柄である。

又、特別抗告人が、第五回準備書面をもって主張した点は、本件教団の構成員の99パーセントを占める信者(約一八〇〇名の信者)についての第一審裁判所の判断(一連の刑事事件と無関係且つ責任のない)から解散命令は、かかる約一八〇〇名の信者に対する関係において、まったく、責任がないにもかかわらず、一部信者のために、その信仰生活を断念に追い込まむ結果となる法人の解散命令は、責任のない個人に対し、連帯責任を追求することになり、実質的に憲法二〇条(信教の自由)並びに第二五条(生存権)、憲法第一三条(個人の尊重)に違反すると主張したが、全く判断がされていない。

よって、原決定は、審理不尽並びに理由不備の違法があり、取り消されるべきである。

二 代表役員松本の「指示」の事実について、「無罪」の推定があるのにこれを認定したのは、憲法第三一条(法定の手続の保障)違反であり、取り消されるべきである。

この事実関係については、未だ刑事公判が開かれていない時点において原決定はその有罪判決を認定するものであり、全く事実誤認であり、刑事訴訟法に違反するものであり、裁判を受ける権利を否定する暴挙である。即ち、本件殺人予備罪について、刑事公判調書が提出されているが各被告人は、第一審において、共謀を否認したり、或いは殺意を否認しており、有罪判決が出されていない。

このような段階では、刑事訴訟法は、「無罪」の推定をしており、原決定は、直接証拠を判断することなく、間接的な公判記録をもって、心証形成しており、事実誤認の虞れなしとしない。

仮に、代表役員松本の「指示」の事実が認定されない場合には、本件解散命令は、その根拠を失い、解散命令は、取り消されるべきであるが果して、現状回復できるか、すこぶる疑問である。

その観点からも、原決定は違法である。

三 抗告人と信者とは、法律上、別個の存在であり、右信者は、本件において当事者となりえないとの判断は違法である。

即ち、本件信者は、所謂、出家信者であり、全ての生存の根拠を抗告人の存在に委ねている関係にあり、他の法人乃至宗教法人とは異質である即ち、本件特別抗告人の構成員である出家信者は、全ての個人財産を寄進し、一切の個人財産を保有しないものであり、法人の財産施設においてのみ、信仰生活が可能となる仕組みになっている。

勿論、法人の財産は、全て、かかる出家信者を含む信者の寄進(財産的出捐)から構成されており、法人独自の財産は存在しないといっても過言ではない。

法人解散の実質的な利害関係人は、かかる信者約一八〇〇名である。因みに、他の宗教法人の場合には、解散されても、その信仰生活が直接侵害されたり、脅かされることがないのに対し、本件信者は、宗教法人の解散即信仰生活の基盤の喪失という権利関係にある。

かかる観点からも、本件出家信者は、抗告人の構成員であり、利害関係人であるから当事者適格を有するものである。

この点は、特別抗告人が提出した各信者の陳述書の記載から明白である。

四 解散事由にかかる事情の有無についての判断は、実質的に抗告人の現在の構成員を占める、従って、総意を構成する信者の信教の自由を侵害する判断である。

即ち、原審は、一連の刑事事件について、構成員の99パーセントを占める信者は、無関係であり、当然に責任がない事実を認定している。

まさしく、本件抗告人教団は、右構成員信者をもって、運営されており過去において、かかる構成員が刑事事件を起こしたことがない事実に鑑みて、将来において、違法行為(公共の福祉に反する行為)をする可能性は皆無である。

原決定は、「松本が代表役員の地位に止まっているのみならず」と判示しているが、既に松本は、代表役員並びに役員の辞任の意思表示を担当弁護人を介して特別抗告人に連絡しており、特別抗告人は、その辞任の意思表示を了承し、既に特別抗告人の代表役員は、「村岡達子」に変更されている。

又、右代表役員村岡達子は、その陳述書において、「例え教団幹部といえども、公判で凶悪犯罪にかかわったことが裁判で確定すれば、教団から除名処分にすることになるでしょう。尊師に関しても例外ではありません。

現在、逃亡中の指名手配者に関しては、教団の出頭要請に従わない場合には、教団の出頭要請に従わないという理由で既に除名処分にしております」と述べている。

又、特別抗告人の教えについて

「原始仏教やヨーガの集大成といえるもので、不殺生、不兪……」

「従って、仮に尊師から殺人を目的とする違法行為等を指示されたとしても、それに従う余地は全くありません」

と述べており、原決定は、全くかかる特別抗告人の教義等を曲解乃至全くの無理解から、独自の論理を展開しており、事実誤認も甚だしいといえよう。

いかなる観点からも、特別抗告人の教団の規則乃至教義において、一連の刑事事件のような凶悪な犯罪が容認される余地はないことが事実である。

現に、教団の99パーセントの信者は、かかる一連の刑事事件に無関係かつ責任がない事実こそ、教団の教義乃至規則につき、原決定の指摘するような危惧(杞憂)が根拠のないことを証明している。

原決定は、現在並びに将来にわたって、一連の刑事事件において逮捕・勾留、起訴されている松本が代表役員として、抗告人の法人組織においてその執行権限を発揮できる余地は全くないことは、顕著な社会常識であり何人もこれを否定できないのに、あたかも、この可能性があることを前提にしており、経験則に違反する事実認定を行っている。

原決定は、かかる松本が無罪になり、放免される余地を間接的に示唆するものであり到底首肯定できない、杞憂であろう。

国選弁護人を介して、教団に対し、松本が執行権限を行使できる余地は全くない。

「杞憂」をもって、特別抗告人の現状を認定することは許されない。

又、「オウム真理教の規則」の規則自体の改正は、いつでも可能である。原決定が、この規則を「犯罪組織」の規則と認定すること自体、全くの理解に苦しむことである1。

この規則の下にある抗告人の構成員の99パーセントが全く犯罪と関係のない善良な信者であり、明白に事実誤認である。

松本が今後、抗告人の運営その他に一切関与することが絶対ない、客観的状況であることは、自明である、抗告人の現状についての原決定の事実認定は、社会的正義に反するものであり、再考されるべきである。

その観点からも、原決定の抗告人の実体が「改善された」といえないとの判断は、違法な判断であり、抗告人の構成員の99パーセントの信者の信仰生活の場所を喪失させ、実質的に信教の自由を侵害する措置であり、憲法第二〇条に違反することは明白である。

五 原決定における重大な事実誤認について

原決定は、あたかも、第七サティアンにおいて、「サリン」が生成された(申立理由は、企てたにすぎないと主張)事実を認定しているが、全く、客観的証拠を無視した想像をしている。

これも既に指摘したが、特別抗告人が提出した「電界プラント」の電源の資料(電気使用量)の証拠を検討しないから、このような想像ができるのである。

即ち、平成6年12月ないし1月1日までの第10サティアン(電界プラントの電源)の電気使用量は、1月1日以降と差異はない事実こそ、「電界プラント」が稼働していない証拠であるのに、何故か、これに全く言及していない。

特別被抗告人すら、その報告書において「電界プラント」の不備で、「五塩化リン」の生成が殆ど合成できなかった事実を自認している。

そのために、「五塩化リン」(僅か一トンしか購入していない)から生成を企てる方法を採用したと事実認定しているが、それでは、「サリン」の「量産化」は不可能であり、事実認定が相互に矛盾している。

特別抗告人は、「サリンの生成」が事実ならば、その生成方法を特定すべきであると主張しているが、その点についても、全く原決定は、理由を付していない違法をしている。

「サリンの生成方法」の特定は、「量産」が可能か否か、その目的の如何という争点にかかわる重要な問題であり、事実認定を省略することは許されない。

六 「殺人予備罪」の構成要件について、従来の判例違反をしている。

即ち、殺人予備行為は、「殺人の目的を実現できる行為」であり、第七サティアンにおいて、仮に、「サリン生成」が企てられたとしても、「サリン」自体の生成と入手・貯蔵がなければ、「殺人の目的」を実現できないのである。

特別抗告人は、「サリン」の「一滴」も生成したことを確認していないしいわんや、その貯蔵をした事実もないことは、検証の結果から明白である。

従って、「殺人予備行為」の解釈を誤っており、判例違反である。

勿論、起訴された各信者は、「サリン」の認識はないし、いわんや、その使用目的が「殺人」にあることを否認し、「生成目的」が「防衛目的」である事実を示唆する供述をしていることは公判調書の記載から明白である。

従って、起訴されている各信者について、無罪の可能性がある。

このような段階で、原決定は、あたかも、起訴された信者が有罪であるかのような事実認定をしているのは、刑事訴訟法の無罪推定の趣旨に違背するもので、誠に理解に苦しむものであり、裁判を受ける権利を否定する、発想であり、憲法に違反するものである。

七 よって、原決定は、種種の点から憲法に違反しており、取り消されるべきであり、又、宗教法人法第81条は、抗告があった場合には、「執行停止の効力を生ずる」と規定されているので、執行停止の決定を速やかに行うことを要請する。

因みに東京地方裁判所民事8部は、特別抗告の余地があり、原決定が確定しないのに、「確定」したと称して、「清算人」の就任登記を職権でおこなっているが、

この措置は、最高裁判所の権限である本件特別抗告の申立とその審理を否定する考えに立脚するものであり、現状回復が不可能であるので、司法行政上の監督権を行使して頂たい。

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